世楽院の歴史

時を経て
受け継がれる仏道

建治二年(一二七六年)慈性明恵和尚を開基として開創されたと伝えられる。古伝に曰く、開基明恵和尚は良源大師の法孫、慈慧僧正の再来なるかな、故にこの名を称す。
 さらに、明応六年(一四九七年)松浦兵庫頭殿をもって中興の開基となす。その後、寛永二年(一六二五年)朝倉筑後守殿を再中興の開基に敬う。
 天文元年(一五三二年)本郷長福寺五世心源盛智大和尚を請うて真砂前山に「清楽寺」を開山。その後、慶長十一年(一六〇六年)倉真山崎の高丘地に転寺す。山号を「華嶽山」と称し、戦後の荒蕪地がようやく浄刹と化し、寺号を「世楽院」と称す。
 安永元年(一七七二年)火災により焼失するも、重興十八世興山石羊和尚が復旧に尽力し、安永八年(一七七九年)現在地に再建す。以来、鐘楼新築、参道整備、霊園拡張、厄除観音・水子地蔵尊建立、六地蔵堂建立などを経て、平成二十七年からは五年を要して伽藍の大修復工事が施され、今に至る。

寺院紹介

御本尊(ごほんぞん)

御本尊はお釈迦様です。正式名称は「釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)」です。本堂の中心である須弥壇(しゅみだん)の上にいらっしゃいます。お釈迦様は今より2600年ほど前に、悟りの境地に達し、その教えを広められました。

開山堂(かいさんどう)

開山堂とは、そのお寺を開かれた御開山様である初代の御住職様をお祀りする御堂のことをいいます。
世楽院ではこの開山堂に、御開山心源盛智大和尚様と曹洞宗の開祖様である道元禅師様、そして道元禅師様の教えを広く日本中に伝え、今日の曹洞宗の基礎を築かれた瑩山禅師様が中央にお祀りされています。

位牌堂(いはいどう)

位牌堂には、お檀家様や永代供養のお位牌をお祀りしてあります。毎日、住職がお勤めとして読経(どきょう)して、故人を供養しています。
コロナ禍、天井が高く広いお寺で法事をする方はこちらで行います。

庫裡・客殿(くり・きゃくでん)

法要、法事の控室としても使用されます客殿です。本堂と同じ安永7年(1779年)に建立されました。平成27年から5年がかりで伽藍の大改修工事が施されました。

鐘楼(しょうろう)

かねつき堂です。梵鐘は一時戦時中に失われましたが、昭和33年に復興され、「平和の鐘」と名付けられました。今では毎日昼の11時と夕方5時に時報としても撞(つ)かれています。さらに、単に時報としてばかりではなく「その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳がある」とされます。大晦日の「除夜の鐘」には大勢の方が鐘をつきにいらっしゃいます。

六地蔵堂(ろくじぞうどう)

衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)様をお祀りしてあるお堂です。

忠霊塔(ちゅうれいとう)

太平洋戦争に出兵し、戦死した戦没者をお祀りした塔です。